東京地方裁判所 昭和54年(ワ)5358号 判決
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【判旨】
三原告らは、右損害は被告会社の不法行為(洋商の法人格権の濫用)、被告水谷の洋商の代表取締役としての任務懈怠に基づくものとしてその賠償を求めると主張するので、検討する。
1 被告会社は昭和四八年八月洋商の発行済株式総数四万株のうち二万五六〇〇株を、昭和五二年七月には全株式を取得したこと、被告会社の従業員である被告水谷は昭和四八年八月一〇日洋商の代表取締役に就任したこと、同じく坂田正典は昭和四八年八月一〇日から昭和五三年九月一八日まで、西谷幸夫、本多肇は昭和五〇年一〇月二九日から昭和五三年五月三〇日まで、それぞれ洋商の取締役に就任していたこと、同じく田中穂並は昭和四八年八月一〇日から昭和五二年一一月二九日まで、小柳成男は昭和五二年一一月二九日から昭和五三年九月一八日まで、それぞれ洋商の監査役に就任していたことは、当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、次の事実が認められる。
(一) 洋商は、喜田哲良が昭和三六年九月に設立した会社であるが、昭和四八年頃経営不振におちいつていた。伊東は、かねて家具業界のことについて調査していたので、喜田から経営の建直しについて相談を受け、喜田とともに喜田がかねて援助を求めていた被告会社の先代社長守谷一郎に対し、家具業界の動向や経営方針について進言し、被告会社による洋商へのいわゆるてこ入れを要請した。その結果被告会社は、「商品の仕入れはすべて被告会社を経由することとし、被告会社は取扱い高の三ないし五パーセントを手数料として取得する。洋商は得意先からの回収代金はすべて被告会社に引渡し、経費として必要な資金は別途被告会社から支払いを受ける。右取引形態はできるだけ速かに洋商が本来の独立した会社として経営できるようにすることを目的とし、その場合は直ちにもとの状態に復帰させる。役員の交替等は、すべて被告会社の指示に従う。」という条件で洋商を支援することとし、前記のとおり株式を取得、従業員を出向させて洋商の経営にあたり、前記原告萩原との取引も開始された。
(二) 伊東は、守谷一郎の要請で昭和四八年八月洋商の取締役に就任したが、予期に反して洋商の経営に対する実質的権限を与えられなかつたため、昭和四九年一〇月に退任し、約半年間顧問として在籍したのち退社した。その後家具、木製品等の製作を業とする東洋産業株式会社を設立して、洋商とも取引してきた。
(三) 被告水谷は、被告会社の総務部人事課長補佐から洋商の代表取締役に出向し、前記のような取引形態のもとに洋商の経営をしてきたが、昭和五三年に至つても債務超過の状態は解消せず、被告会社は、家具業界について専門的知識を有する伊東に経営させた方がよいと考えるようになつた。
(四) 昭和五三年二月か三月頃、被告会社から洋商経営の意向を打診された伊東は、被告会社が洋商の借入金債務を免除したうえ、一切をまかせてくれるのであれば被告会社の資金援助がなくても経営できるという判断のもとに、被告会社から洋商の発行済全株式四万株を二〇〇万円で譲受けることとし、昭和五三年四月末頃、被告会社との間で「別表三のとおり洋商の勘定を引継ぐこと(被告会社は洋商の借入金債務三二三三万五四八六円を免除し、在庫商品の評価損一六一六万二一八三円――在庫商品五一〇八万九二二六円を一五二二万七〇四三円値引して三五八六万二一八三円で洋商に買取らせ、これをさらに一九七〇万円と再評価したもの――を負担する。計四八四九万七六六九円の債務免除となる)、伊東は直ちに洋商に常駐し、三か月をめどに業務引継を完了し、経営を承継すること、その後は伊東の責任と負担で洋商を経営し、昭和五三年四月一日以降の洋商の損益はすべて伊東が経営する洋商に帰属すること、洋商は右引継ぎ完了後一年に限り仕入先を限定して被告会社に商品仕入の窓口となることを依頼することができ、被告会社は与信額の限度内に限りこれに応ずること、承継した洋商の被告会社に対する買掛金債務七七六九万五八四九円のうち五七九九万五八四九円は昭和五三年五月三一日までに現金又は洋商の販売先が振出した約束手形に裏書して交付することにより支払い、一九七〇万円は昭和五三年一〇月から昭和五四年二月までの各月末日を支払期日とする均等分割の約束手形を決済して支払うこと」を合意した。
(五) 右合意に基づき、伊東は昭和五三年五月一日から洋商の代表取締役に就任して経営にあたり、被告水谷は退任した。ただし、就退任の登記は昭和五三年九月一八日付で同年一〇月二四日になされ、被告水谷も昭和五四年一月までは取締役として洋商に出勤していた。
2 <証拠>によれば、次の事実が認められる。
(一) 昭和五三年五月、伊東と被告水谷は取引先に対し洋商の経営者交替の挨拶廻りをしたが、その際伊東は原告萩原に対し以後支払いは三分の一は現金、三分の二は洋商振出の約束手形によることに改めたいと述べ、同原告が被告会社との関係をただしたのに対し、被告水谷は従来通り支援する旨を告げた。その結果原告萩原の要望を入れ、従前の支払方法を、六分の三は被告会社振出の約束手形、六分の一は現金、六分の二は洋商振出の約束手形によることに改められた。
(二) 原告大洋は、かねて原告萩原が洋商と取引していることを知つていたが、昭和五三年はじめ頃、販路拡張のため洋商に取引を申込み、被告水谷は原告大洋の工場、製品の見分をした。同年五月、伊東と被告水谷が経営者の交替についての挨拶に行つた際、伊東は三分の一現金、三分の二洋商の約束手形でという条件を示したが、原告大洋は、原告萩原に準ずる条件で取引したいと要望し、その結果伊東との間で、六分の三は被告会社振出の約束手形、六分の一は現金、六分の二は洋商振出の約束手形による旨合意された。被告水谷は、経営者が交替しても被告会社は全面的に応援すると述べていた。
(三) 被告会社は、右合意に基づき、昭和五三年五月以降の洋商の原告らに対する売買代金債務中二分の一については被告会社振出の約束手形を送付して支払つた(原告らがこれを先に弁済期の到来した分に順次充当していつた結果、前記残代金債権額になつている。)。
3 証人伊東剛の証言によれば、次の事実が認められる。
伊東が被告会社の援助がなくても洋商の経営をすることができると判断したのは、基本的に、洋商の売掛金の回収は大部分現金であるから、仕入代金の支払いを三分の一現金、三分の二約束手形で行えば、約束手形の支払期日までの間はその分の金額を運転資金として利用でき、その間に新規の取引先を開拓するという点にあつた。
ところが昭和五三年一一月頃になつて、運転資金に窮するようになり、調査したところ、洋商では売掛金として計上されているのに販売先では買掛金として計上されていない金額が約一五〇〇万円存在することが判明した。このようなそごは、洋商の販売先は西友ストア、イトーヨーカ堂、西武百貨店等の大手業者が主体で、相手方では納品、返品、支払い等をすべてコンピューターで処理しており、伝票上不備があるもの等は清算を保留したり、買主側の都合で仕入高の操作をすることなどがあつたのに対し、手作業による伝票整理をしていた洋商ではこれをチェックすることが容易ではなく、異議を述べる機会を失つてしまつたことによるものとしか考えられないし、それは被告水谷が経営していた間に発生したものであると考えた伊東は、そのほかにも、在庫商品とされていたものの中に返品された商品価値のないものが存在し、約五〇〇万円の損失になるとして合計二〇〇〇万円を被告会社が負担するよう申入れた。
ところが被告会社は経営譲渡に際し協議を尽して前記のとおり合意したことを理由にこれを拒否し、伊東が独自に融資を受けるべく努力したが不成功に終り、また、新たな取引先の開拓も思うにまかせず、伊東は洋商の経営を断念して、自己破産の申立をした。
四以上の事実関係からみると、被告会社は昭和四八年八月以降洋商経営の実権をもち、昭和五二年七月以降は完全にこれを支配してきたものということができるが、これを譲渡するに際しては被告会社が洋商の経営を引受ける以前からその内情を知つている伊東と十分協議を重ねて最終的な合意に至つているのであつて、倒産を予測し倒産時の責任のがれのために伊東に経営を譲渡したものとは到底認められないし、原告らが主張するように、洋商の法人格権を濫用して、本来の取引主体は被告会社であるのに債務の支払を免れるため洋商の債務であるとして倒産させたとか、被告会社の恣意によつて洋商を存在させたり倒産させたりしたとまでは、認定できない。被告水谷が従前通り支援すると言つたからといつて、それが直ちに洋商の自立を支援すべき道義的責任をこえて、法律上経営者としての責任を負うものと解することはできない(被告会社が支援するからこそ、洋商への売掛金債権の二分の一については被告会社振出の約束手形による支払いを受けることができたといえよう。)。
また、原告らは、被告水谷の代表取締役としての義務懈怠をいうが、伊東のいう約二〇〇〇万円の損失が、被告水谷が経営していた頃に生じたものであることを認めるにたりる的確な証拠はないばかりか、これが洋商倒産の直接の原因となつたものとは認め難く、前記認定の被告会社及び被告水谷と洋商との関係から、被告水谷が洋商を経営するについて特に被告会社の利益のみを計つて洋商の倒産を容認するなど、その職務執行につき悪意又は重大な過失があつたものと認めることはできない。
よつて、原告らの主位的請求はいずれも理由がない。 (大城光代)